主が通う文化祭

ここは主がただとりとめもなく,日常に起こることを書いていくだけの不定期更新雑記ブログになります.一応のテーマは音楽と旅と海関連と何かしらXです.

【思想の垂れ流し】最近ニュースを見ながら思うこと

今回のテーマは思想というかその裏側はどうなのといった完全なる机上の空論によるものです。

また、本記事において何人も批判や痛烈に切るわけでもないです。

ただただ、私が思うことを書いています。

人によっては見たくないような文章かもしれませんので、自己責任で閲覧とコメントをお任せします。

テーマ

いじめ 自殺 誰が被害者?

では以下本文。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、私が今回こういった話を書く前に一つ経歴というか、どういった人生軌跡なのかを軽く書いておきます。

そもそも、いじめについて受けたことはある身です。まあ小学校の頃ですけどね。

あと、教員でも保護者でもないただの独身男性です。

そのことも踏まえて見ていただければと思います。

 

 

 

 

 

さて、どの媒体によるどのニュースなのかや、どの年齢なのかは特に話はしないです。

ただただ見たニュースまたは新聞の特集について書いていこうかと。

 

大体の場合、いじめが発生し、もし自殺が発生したとなると、真っ先にたたかれるのは教育委員会や担任、学校ではないだろうか?

私としては、ここが叩かれること以外の見出しやニュースを見聞きしたことが少ない。

 

そして、次に話題に上がるのは、いじめを行った加害者について叩こうとしようとするものである。

大体、この場合はTwitterやネットニュースのコメント欄があれることで声を上げた気になった人が多いイメージである。

実際なところ、これらのネットニュースで喚き散らかしたところで、実社会へ反映されるものでもない。いや、されているが数が多くないのか、私の見識不足なのかであろう。

 

そして、一番話題にならないことは被害者家族のことである。

こう書くと『いやニュースの特集で被害者家族のその後とかあるじゃないか!!!』と叫ぶ人もいるだろう。

しかし、そんなことではない。

私の焦点はここにある。

そう、教育委員会や加害者に向けられるものと同じこと、その者の落ち度である。

例えば、教育委員会や学校では「いじめを認識していたのか」や「いじめを止めようと何かしたのか?」などであり、加害者に対しても「なぜいじめたのか」や「いじめていたという自覚はあるのか」といったその者の自覚意識や認識に対するものである。

そして、このことと同じことを被害者家族にあててみたい。

 

だいたい被害者家族の特集となると被害者家族がなぜ学校は何もしないのかや加害者に対してのあれこれといったことがある。

社会構造を理解してみると社会があり、学校があり、各個人の集団があり、家庭がある。といったように、輪の中にさらに小さな輪がある構造がある。

そして、その構造の最小円といえるのは家庭ではなかろうか?

そして、家庭内で何かいじめに関する認識や対策といったものはあるのだろうか?

その為、被害者家族がただの被害者として扱われることは問題ではないのかと思う。

 

例えばの話だが、こういうのはどうだろうか?

いじめが発生していたが、家庭でも認識していなかった。家庭では何も話さなかったから無理である。 

そうなった場合、一番身近な社会構造である家庭という円が崩壊しているのではないのか?

そうしたうえで、さらに巨大な円である個人の集団や社会に対してどう訴えていくのか?その子にそんな力が身についているのだろうか?

そうした中で、すべての責任を学校やその他有象無象に押し付けるといったものはどうなのだろうか?

死人に口なし、被害者家族は責められにくいという立場から学校側に責任を押し付けて、自分たちは善人としてふるまう。そういうのはどうだろう?

私としてはとても奇妙なことだと思ってしまう。

こうして、被害者家族にも何か家庭での問題があったのではないかと。

その為か、私はこうした自殺関連のニュースを素直に受け止めることができないように思う。

 

恐らく、この記事に対してその通りだというものもいれば、投稿主のクソ野郎と思うかもしれない。また、自身も子供を持つと何かしら考えが変わるかもしれないが、今はただこう思ってしまう。

 

以上。